長年、私たち親子の関係は
決して良いとは言えませんでした。
たまに帰省して会えばすれ違い、
行動や言葉の端々で互いを傷つけ、
積み重ねた誤解と沈黙はまるで
氷の壁のよう。
その背景には、
幼少期からの長い家族の歴史の中で
繰り返される事実と妄想、
母の長年の介護や心の余裕、心身の疲労
そして、私自身の内側での葛藤がありました。
父が脳出血で倒れたのは
私がまだ20歳の時のことです。
それから77歳になる母は、
30年以上にわたり、
1級障害者である父の介護を
献身的に続けてきました。
それは「尊敬」という言葉では片付けられない
凄まじいほどの
“愛と献身”
の人生だったように思います。
「お母さんが宝くじに当たって10億円手に入って
さらに!神様が降りてきて
何でも願いを叶えてあげるよって言ったら、
何をしたいの?」
そう伝えたとき、
母はしばらく曇った顔つきで
言葉を失っていました。
出てきたのは
「やりたいことなんて、ないのよ」
そしてポツリと、
「ここの環境が整えばそれでいい」と。
ユネスコや
地域の県立病院のボランティア活動だけが、
彼女が“自分のため”にしている数少ない行動。
でもそれでさえ
「人のため」
だから自分を許せるのだと
私からみて感じていました。
「こんな立場なんだもの。
私はでしゃばっちゃいけないの。
誰かの役に立つ、それが私の価値」
その思考の枠の中で、
母はずっと生きてきたのだと改めて知りました。
そんな母に、
心療内科で心理カウンセラーをさせていただき
さまざまな人生の背景を持つクライアントから
壮絶なストーリーを伺ってきた私が
ユーモアや例えを交えつつ
さらに宝くじと神様の
その状況を引き出していくと
小声でポソっと
「ほんとはね、
中村哲医師のように、
未開拓の地で純粋な子供たちと過ごしたい」
あまりに意外な言葉に、私は耳を疑いました。
けれどそこに続いたのは、
「本当はね、自分に素直に、
自然な自分のままでいたいの。」
ポツリポツリと溢れる言葉。
あまりに複雑になりすぎた人生。
その時の母の表情は、
いつもの疲れた顔ではありませんでした。
自分の中から溢れ出る
思いに目を輝かせ、まるで若い頃の母ようでした。
私はハッとしました。
どれだけ母のことを知らなかったのだろう。
ライフオーガナイズの前に記入してもらうアンケートには
「趣味 音楽鑑賞 ガーデニング 料理」
と、自筆で記入。
ハッとしました。
初めてきいた趣味や好きなこと。
そんなことすら知らなかったんだなと。
長い間、思考に縛られ、
空間に縛られ、モノにストレスを感じながら
人生そのものを“誰かのために”生きてきた母が、
自分の“ほんとうの願い”をようやく声に出せた
その瞬間に胸を撫で下ろしました。
今出てこなければ、
きっとずっと聞くことはなかったでしょう。
きっかけは、家の片づけでした。
介護で手付かずだった実家を、
ライフオーガナイザーをさせていただいている私が
整理し始めない?と誘ってみたのです。
そして、散らかっていた空間は、
帰省のたびに嫌悪の対象だったはずなのに、
母と一緒に物に触れながら語る中で、
そこに刻まれていた“真摯な生き様”が見えてきました。
物を手放しながら、
自分の価値観や想いにも向き合っていく。
片づけとは、ただ空間を整えることではなく、
その人の「これまで」と「これから」を見つめ直す、
再出発のセッションでもあります。
「終活って、
何をしたらいいか分からなかったけど、
手伝ってもらえて光が差しました」
そう母からのLINEのメッセージが届いた時、
心からよかったと安堵し、胸にズシンと重いものを感じました。
私は、親孝行らしいことなんて何もできてこなかった。
それどころか、辛い思いをさせてきたかもしれません。
けれど、今こうして、
少しでも母の心が軽くなるお手伝いができることを
心から嬉しく思います。
“本当はどう生きたいのか?”
人生の最終章にさしかかった母の口からこぼれた、
あまりにも切実で、あまりにも美しい願い。
それを聞けたことで、
私もまた、自分の中にある“無意識の思い込み”に気づかされました。
自由とは、物を捨てて軽くなることでも、
時間があることでもない。
「自分の気持ちに素直であること」
それが、本当の意味での自由なのだと、
母の壮絶な生き方と言葉が教えてくれました。
私たちが本当に片づけるべきなのは、
“部屋の散らかり”よりも、
“自分を縛っている思考”なのかもしれません。